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装備用ストラップについて
今回は、装備用ストラップについて調べたことを複数回にわたってまとめていく。
なお主な出典はH.Dv.122 Anzugordnung für das Reichsheer. 1934年第14版であり、その後改訂されている可能性がある。
装備用ストラップ、正式にはRiemenには3種類存在する。
1.Mantelriemen (外套用ストラップ)
2.Kochgeschirriemen.(飯盒用ストラップ)
3.Riemen zum Anschnallen des Schanzzeug Stiels am Tornister.
(背嚢に携帯エンピを取り付けるためのストラップ)
これらをそれぞれ解説する。
外套用ストラップ
a)徒歩部隊用
三本の生なりの牛革、裏革が表面 長さが約53cm 幅18.5mm 厚さ2.5mm以上 革の一方の端に革の輪ともう一方の端に鉄の錫メッキのローラーバックルがあり穴の間隔は約1.7cm、最も低い穴は先端から5cmの位置にあり17個の穴が開いている。ローラーバックルの下、約7 cmの位置に亜鉛メッキされた鉄製のリベットボタンがある。摩擦による摩耗の保護のために片側に2.7cmの長さの革が縫い付けられている。表側には、金属製のボタンから9 cmの幅、長さ16 cm、幅18.5 mmのボタンホール付きボタンベルトが付いている。ボタンから9cm離れたところを縫い止めしてある、長さ16cm、幅18.5mmの、ボタンホール付きの留め革があり、これを縛着の際にトルニスターのタブを通してボタンで固定する。
b)馬上部隊(非騎馬兵)向け
以前と同じベルト。 革のパッドとボタン、ストラップがついていない物。(ただの一本の革のベルト)
c)使用方法
1)徒歩部隊用: 3つの背嚢用ストラップは外套と個人用天幕を巻いたものを適度にしめつけておく必要がある。背嚢にそれらを固定する前に縛っておくこと。 真ん中のストラップは正確に真ん中に、他の2つは下端から約6~8 cmのところに巻きつける必要がある。
2)馬上部隊(非騎馬兵)向け:外套を丸めて左肩から右臀部にかける際、両端を固定するために使用する。
d)重さ 約43g
飯盒用ストラップ Kochgeschirriemen
a)長さ約55 cm、幅約18.5 mm、なめした生なりの牛革、
裏革が表側にあり、8個の穴が1.1cm間隔で最初の穴は先端から6cmに位置する。
錫メッキのローラーバックルと、革のタブ付き。 革の厚さは少なくとも3 mm以上。
b)重さ:約38g。
Riemen zum Anschnallen des Schanzzeug Stiels am Tornister.
(背嚢に携帯エンピを取り付けるためのストラップ)
a)なめした生なりの牛革、裏革が表側にあり 長さが31 cm、幅が18.5 mm、8個の穴が1.7cm間隔で最初の穴は先端から5.5cmに位置する。
鉄の錫メッキローラーバックル及び2つの革のループがあり1つは表面に、もう1つはそのすぐ後ろの反対の面についている。
b)使用方法 エンピの柄の部分と背嚢の左部分を巻き込んで通して結ぶ。ストラップのローラー部分が後ろを向く(表から見えないように)巻くこと。
c)重さ:約27g *)乗馬本分者は通常3本のストラップを装備する。
さて、これらの規定からどのようなことが言えるだろうか?
実際にこの飯盒用ストラップで雑嚢に31年型飯盒を縛着した場合以下の写真のようになる。
通るには通ったがギリギリになった。
飯盒用ストラップは他のストラップの項目と違い、その使用法が明記されていないため必ずしも飯盒を雑嚢に縛着するために使用されていたとは言えない。
ここで、飯盒本体の項目ではどのように規定されているのかを見てみよう。
訳抜粋
31年型飯盒及び同覆い
(中略)
c)飯盒の収納方法に関しては付録7及び8を参照せよ。
※付録7は背嚢の中身の規定、8は騎兵の蔵の中身の規定
画像のみ抜粋
このように、装具規定上は雑嚢に飯盒を取り付けることを想定していないことが分かる。
次に、飯盒用ストラップは実際に支給されたのだろうか?
H.Dv 121 Vorschrift über die Bekleidungswirtschaft der Truppen im Frieden
35年4月1日 平時における被服装具規定より歩兵科兵士の支給定数表を抜粋する。
※該当部分のみの抜粋
外套用ストラップは3本セットを2組支給
※画像の通り、最初の項目は支給定数、次の数字が更新期間
支給定数に乗っていたのは、31年型飯盒及び同覆い 外套用ストラップ 背嚢に携帯エンピを取り付けるためのストラップの3種類であり、少なくとも35年4月1日時点での歩兵科の平時における支給定数には飯盒用ストラップを発見することができなかった。
以上のことから、少なくとも戦争開始前は31年型雑嚢を導入した後も旧型と同じように飯盒を雑嚢に縛着するという形式を想定していなかったことが伺える。 一方でポーランド戦役やフランス戦役もしくはそれ以前には既に飯盒を雑嚢に縛着する兵士の写真が散見される。 所謂Aフレームは1939年の4月付での採用なのでその多くが出回っていない時期に既に飯盒を縛着している兵士がいるということだ。
これらの事から、戦争初期における飯盒の縛着はAフレームと一緒に採用されたと思われる3つループのストラップではなく上記に規定された飯盒用ストラップ、もしくは旧型背嚢に取り付ける際に2本セットで使用されていたものを流用したか外套用のストラップを使用していた可能性が高いのではないだろうか?